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「山を渡る」という至高の登山漫画を語る

「山を渡る」を語る

「山を渡る」という登山漫画について語ります。間違いなく登山・山岳漫画における最高傑作の一つとなる作品です。個人的にジャンルを問わず、ここ数年で出会った漫画の中で一番心を震わせてくれた作品なので僭越ながら語りたいと思います。

ストーリー

舞台は廃部寸前の三多摩大学山岳部。冒頭は部の存続の危機の中、最も重要な勝負となるはずの新歓日に先輩3名が八ヶ岳横岳の登攀をしているシーンから始まります。大学進学を機に上京してきた女子大生の加賀、南部、入間の3人が山岳部に迷い込み、手練の先輩部員、黒木、金田、草場によって山の世界に連れ回されていくというストーリーです。慌てて下山し部室に戻ると見慣れぬ新入生が居る、この6人全員が主人公と言えるくらい個性豊かで魅力的なキャラクター達ですが、どちらかというとやはり登山初心者である加賀、南部、入間の3人の目線で物語が進みます。

「山を渡る」の魅力

手に取ったきっかけは数ある山岳漫画の中でも特に絵柄が好みだったことでしたが、画力の高さはこの作品の魅力のごく一部分でしかありません。

描写力の高さ

山頂の景色に表情豊かで今にも動き出しそうなキャラクターたち、山道具のメンテナンスのシーンなどシンプルな絵の上手さという意味での描写力はもちろんのこと、山にまつわる細やかなあるある、山における「自己責任の自由」であったり、山に関わる人間が持つべき心構えであったり。そうした絵以外の描写がしっかり描かれているのが大きな魅力だと思います。飄々と登頂成功しヒャッハーしているシーンがあると思えばあるロッククライミングで登頂まであとわずかのところで雨が降り、主将黒木がそれでも進もうとしてOBに叱責されるシーンがあったり、ちゃんと山の良いところも怖いところも描かれています。

魅力的なキャラクター達

あらゆる事柄に科学的に取り組む理工学部の入間、山岳文学に魅せられた文学部の加賀、そして競争がない登山なら自分にでもできるんじゃないかと恐る恐る山の門を叩いた南部。対して手練の先輩部員は主将のゴリラ女こと黒木、硬派なアルピニズムを地で行く金田、ボルダリングから山の世界に入ったテクニシャン草場の3名。

登山に興味を持ちつつも先輩たちから山のリアルを聞いて尻込みするチビ達の様子やセリフ、後輩たちの出身地を聞いてすぐにその土地の山を想像し語りだす山ヤな先輩たち。こういう描写がものすごくリアルで生々しくて、キャラクターが生き生きしているのが大きな魅力です。あとはちゃんと漫画らしいコミカルな掛け合いも随所にあって、山のことは良く分からなくても読み疲れせずストーリーが楽しめるようになっています。

先輩たちは山好きの思いの代弁者

1巻序盤の体験入部で雨の中高尾山に登り山頂で食事にありついているシーンで金田がチビ達に問いかけた「俺達こういうことして楽しいんだがあんたらは楽しかったか?」というセリフ。シンプルながら我々山をやる人間の思いが代弁されていると思う個人的名セリフです。山の何がいいんだとああだこうだごちゃごちゃ言うけれど「こういうことして楽しいから」がすべてだよなあって。

必死に初心者向けにプレゼンをするも本当の初心者にはハードルが高すぎて引かれてしまったり、山の道具屋を絶景ポイントと表現したり、そうした細かな等身大のあるあるにも共感します。

後輩たちに過去の自分を見る

初めて山に登った時、自分が全く知らなかった世界があることを知って、本当に自分の足でここまで来たんだと身体が震えてただただ目の前の広大な景色に圧倒されました。気づけば涙が流れていたり、言葉が出なくなったり逆にいい歳して仲間と大騒ぎしたり、色んな山で色んな経験をしてきました。

こうした山にまつわる「初めて」を体験していくチビ達3人には誰しも過去の自分の姿を重ねることと思います。山をやる誰もが通ってきた道を必死に歩んでいくチビ達3人。彼女たちの姿を見ていると自分が山で感じてきた気持ちだったり数多くの思い出が蘇ります。

初めて自分たちで計画して丹沢大山を登頂したシーンとか初のテント泊登山で雲取山のご来光を見るシーン。南部ちゃんが「うれしい」と言って涙を流す場面。山に圧倒されてまるで今までの自分が全て塗り替えられるような感覚の描写が本当に丁寧でリアルに描かれています。この記事を書いたことで自分の中で気持ちが整理されて気づきましたが「自分もこうだったな」とか「こういう山が自分にもあったな」と彼女たちを通じて思い出せることがこの作品の一番の魅力だと思っています。

山の官能性が詰まっている。山に行きたい本能が駆り立てられる

「山を渡る」が他のどんな作品とも異なっている点がここです。他に似たようなジャンルの作品は多々あれど、これほどまでに読んでいて猛烈に山に行きたくなる作品は他にありません。なぜだか本当に心の底からああ山に行きてえぇぇぇぇと身体が震えてきます。山頂のシーンなんかは自分が追体験してるかのようにジーンとしてきます。

近年キャンプや釣り、登山など”おっさん趣味”なイメージのアクティビティを可愛い女の子にやらせている系の作品が流行っていますが、上記の点が他の作品と明らかに一線を画しています。頑張って言語化を試みましたが、やはりとにかく共感してしまうというところが一番の魅力でしょうか。まるで彼らの一員になったかのうような「山という体験」がとても伝わってくるのです。

全く登山に興味がないとか興味はあるけど全く経験がない人がこの作品を読んでどう感じるのか非常に興味深いところですが、おそらく他の作品では感じなかった何かを感じられるんじゃないかと思います。全ての山好きな人は必読の作品だと強く推薦したいと思います。

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