山と自転車

登山や自転車に関することを綴っています

最初から最後まで稜線歩きで奇跡の絶景 北アルプス唐松岳、日帰り登山 八方尾根ルート

私の最高の登山体験

誰しも「最高の登山」と思える登山体験があると思います。それは好天に恵まれた登山かもしれないし、気の置けない仲間達とピークを踏んだ体験や難所を攻略したときかもしれません。

私にとっての最高の登山は、超好天に恵まれた中で北アルプスデビューを果たしたこの2019年3月の唐松岳でした。登山を始めて5年が経った今でも、この時に感じた高揚感、雪を踏む感触、目に焼き付けた景色、凍てつくような寒さを、鮮明に思い出すことができます。

先日雪山装備の遍歴をまとめたついでに、この最高の登山体験を紹介したいと思います。

学生最後の登山で雪の北アルプスへ

当時は学生生活を終えようとしていた頃で、学生最後に雪山に登ろうと師匠、HG氏と3人で計画しました。私とHG氏は雪山は何度か行ったくらいで、厳冬期用の装備など持っておらず、10本爪の軽アイゼンとレインウェアをシェル代わりに着ていました

唐松岳は初心者向けと言われているとはいえ、今思うと危険な山行ではありました。安全マージンがほぼない状態で(もちろん当時はそれにも気づいていませんでした)、結果的に運良く何事もなく帰ってこられた、というのが正直なところ。

白馬八方尾根から唐松岳へ

登山道は白馬八方尾根からスタートします。八方尾根といえば広大なゲレンデであり、登山よりもスキー・スノボのイメージが強く、実際私も学生の頃にスキー合宿で訪れた以来でした。

リフトを乗り継いで稜線に出て、降りて右手はすぐゲレンデで、左に進むのは登山者のみ。登山者でもバックカントリー目的に来る人も多く、スキー・スノボを担いでいる人が目立ちます。

私達もリフトを降りてすぐの八方池山荘に板をデポして、帰りはリフトを使わず滑走して下山する計画でした。師匠はスキー、私とHG氏はスノーボードです。このコースの問題点としてはスタート時刻がリフトに依存するため、最速でもスタートが8時半くらいになってしまうこと。実際にはスキー・スノボ勢も大勢いて非常に混雑するために、始発に乗ることはできず、結局登山開始は9時過ぎになりました。 

登山者とスキーヤー、ボーダーが入り交じる八方池山荘。この日は笑っちゃうほどの快晴。

どこを見ても雲はなく、見渡す限りの雪雪雪。3月といえば雪山のピークを過ぎ、雪解けの時期になっていく頃ですが北アルプスの稜線にはそんな気配は全くなく、世界を閉ざすかのような深い雪に包まれていました。

最初から最後まで稜線歩き

スタートから終始、ただの一度も視界が遮られることなく極上の稜線歩きが続きます。道幅も広いので滑って真っ逆さま、なんて場所はほとんどありません。何だ北アルプスとはいえこんなもんか、と思っていたのを思い出します。終始稜線歩きということは天気が急変した場合の逃げ場がないということですし、視界が十分でない状況では方向感覚が狂いやすく、イレギュラーの際には非常に危険なのですが、当時はそんなことは知りませんでした。

砂糖の山に登る蟻のごとく稜線を進む登山者。ここまでの好天は今まで登った全ての山を振り返っても、この時と夏の剱岳の時の2回だけです。

この頃は山の名前もほとんど知らず、遠くの山を見てどのへんを見ているかなんて全然分からなかったけれど、別の世界に来たとしか思えないこの景色にただただ圧倒されていました。

登山者が多い道なのでトレースは十分。十分踏み固められており、トレースを外れなければ足を取られることはありませんでした。

登山道の道幅は非常に広く、かつ緩斜面。恐怖心を感じることなく進みます。

ここだけ切り取ると高原のスノーハイクのように見えるけれど、厳冬期の北アルプスです。

遠くの山々の白と水色に魅せられる。なぜ冬の山は青く見えるのだろう。

ある程度登っていくとバックカントリー組が滑走の準備をし始めます。写真右の方にも滑走の跡が残っているように、板を背負って登る人がとても多い場所でした。

人の存在があまりにもちっぽけに見えてくる北アルプス。遠くの山々が水平線に見えてくるくらい、高いところにいるんだと実感しました。

山肌の雪の白がとにかく濃いのが印象的でした。

稜線を吹く風によって作られる雪の紋様、シュカブラ。

あまりに現実離れした、どこまでも永遠に続くように思える白銀の稜線歩きも、3時間ほどでいよいよゴールと思しきピークが見えてきました。手前の丸山というピークを超え、一旦登り返して進んでいくと唐松岳山頂に到達します。

現実離れした絶景 唐松岳山頂 

登頂開始から約4時間、ついに最深部(?)の唐松岳山頂2669mに到達しました!見渡す限りの白銀の山山!!そしてその奥には日本海の水平線がうっすらと見えています。もうここまで来ると中部地方の中でもかなり北側で、日本海の海岸線までは直線距離で30kmくらいしか離れていません。

この写真が写真であることが惜しいくらい、360度この景色が続いていて、この時は本当に言葉を失いました。今まで生きてきて、こんなに美しいと思ったことは、自然の景色に圧倒されたことはありませんでした。声を遮るほどに吹き付ける風や、立ち止まった瞬間から徐々に身体の芯まで達しようとしてくる、本能的に危険を感じる寒さも、何も気になりませんでした。

その美しさは、生き物の存在を拒むような極限環境だからこそなんでしょう。若くて身体がたくさん動かせるうちに登山に出会って良かったと思いました。山に来なければ絶対に見られない景色と体験があるから。

冬の日帰りには時間がシビア

なんて1時間くらい詩的に浸っていたように思い出補正されているものの、実際のところは時間的に余裕がなく、かなり焦る必要がありました。時刻は既に13時を回っていて、下りは滑るのでリフトの最終便は気にしなくていいとはいえ、さらに下りは多少巻けるとはいえ、日没までには下山しなければなりません。一気に下山するべくスープパスタを作って暖を取りました。

好天のおかげで視界は終始良好だったものの、早くも西日になりつつあります。冬山は午後になると晴れていても急に気温が下がり始めるため、いつまでもここに居たい気持ちを感じながらも、早く脱出しなければという気持ちになります。

同じ道のはずなのに、午後になるとずいぶんと山肌の影が目立つようになります。

帰りの稜線上には信じられないことにテントのようなものが張られている。まさかこの環境で一夜を過ごす人間がいるのかと驚愕した。

いつまでも、5年が経った今でも絶景の余韻が残り続ける最高の登山体験でしたが、最後には苦い思い出があります。

山岳レンジャーに怒られて

16時頃になんとか八方池山荘に戻り、これから滑るのかよと絶望しながらも準備をしていると、全身赤い服の山岳レンジャー(正しい名前は知らない)にこっぴどく怒られました。

雪山で下山するには遅すぎること、そもそも冬のこのエリアに来て良い装備じゃないこと(3シーズン靴に、前爪があるとはいえ軽アイゼン)。今回は運良く無事に帰ってこられただけで、決して良い思い出にしてはいけないと。

そして彼らに伴走され見守られながら(監視されながら)ゲレンデを滑り降りました。監視の目が光る中で緊張するし体力はほぼ底を尽きている上、ザックの重みで重心が後ろに取られて、全然上手くボードに乗ることができず転びまくりました。

当時は楽しい1日に水を刺されたような気持ちになって腹が立ちましたが、今になって振り返るとようやく言葉の意味が良く分かるようになりました。

山では何が起こるか分かりません。想定外のことが起こった時、生死を分けるのは”ちゃんとした装備”、道具に助けられて何とか生還できるかもしれません。特に雪山は夏山よりも危険が伴うし、ただ滞在するだけでも大変な場所だからこそ、足を踏み入れるためにはそれ相応の装備が必要ということです。この時の私達は、夏だからと富士山に半袖半ズボンで登る愚かで危険な登山者と同じでした。

それでも自分の中では、二度とないかもしれないコンディションの中で、全身に絶景を浴びながら歩みを進めたことはいつまでも忘れない思い出です。反省点はありますが、やはり振り返っても最高の登山体験でした。いつかもう一度。