山で酒を飲みたくて
ある日、友人で職場の酒飲み仲間と「山で酒を飲みてえ」という話になりました。
テント泊をしたい者、山小屋に泊まりたい者が共存する中で、豪華な山小屋で知られる燕岳をチョイスしました。目的は「山で酒を飲むこと」なのであまりにも過酷であってはなりません。けれどハイキング程度では物足りない。さらにどうせならすげえ景色が見たい。
そんな需要に燕山荘は完璧な選択でした。
パーティーは厳冬期の谷川岳で冬山を学んだという手練のTK氏、山ヤではないものの活動性の高い奇人MR氏、そして私の3名です。
金曜仕事終わりに出て、土日をフルで使った全行程2泊3日、山行1泊2日の登山でした。
初日 松本前泊
金曜夜、職場を出て22時頃に松本入りを果たします。MR氏は信州大学の出身で、学生時代の御用達だったというスーパーで買い出しを済ませます。
買う物は主に肉、そして大量の酒です。手当り次第の日本酒とビール、MR氏持参のワイン数本にTK氏と私の持参のウイスキー。総重量は一人分のテント泊装備をゆうに超え、アルコール量としても山で嗜む量ではありません。それどころか頭の悪い大学生の飲み会レベルです。日々の過酷な業務から開放された高揚感で理性を持つ者が欠如していました。
買い出しを終えていて登山口の最寄りの松本まで来ている。これで当日朝がだいぶ楽になる。さあ後は寝るだけ。というのは凡人の発想です。
これで明日の準備はできたな
これで飲みに行けるな
松本案内しまっせ!
松本中心部は非常に栄えた観光地であり駅周辺の店も豊富です。そして少なくとも普通に散策する範囲では夜のお店の類が存在しない、非常にクリーンな街でもあります。
それは大変素晴らしいことなのですが居酒屋を含め飲食店の多くが23時には閉店してしまうという大きな問題があります。
観光地を謳っているくせに飲み屋すぐ閉めるし日曜定休日とかあって無能。ホントやる気ないんですわ
手厳しくて草
とはいえ適当にさまよっていると入れるお店は見つかりました。結果的には明け方4時頃に店を出て泥のように眠り、山を舐めるなと全ての登山者から大説教を受けることうけあい、登頂開始は11時になりました。
眠すぎて笑う
ホントに登る?
まあワイはやめてもええで
話は変わってこの燕岳は「北アルプスを代表する縦走路、表銀座縦走コースの起点であり」「北アルプス入門として最も有名な山の一つであり」「アルプス三大急登の一つの合戦尾根があり」「高山植物の女王コマクサの群生地であり」「地元の小学生の遠足登山の山でもあり」…と様々な肩書が付きます。
燕岳の稜線上に位置する燕山荘は収容人数600人を誇る北アルプス屈指の山小屋であり、背中に「燕」と書かれたTシャツが非常に有名であり、年末年始も営業しており初日の出の御来光を見ることができたり…と誰もが憧れる山小屋の一つです。
そんな名峰でありながら地元の小学生が遠足で登る場所でもあるので基本的に危険箇所はなく体力さえあれば誰でも登頂できるようになっています。ちなみに長野県民の殆どはその遠足登山により登山が嫌いになるらしく、長野に住む人に登山が好きかを尋ねれば地元生まれか移住者かの判別ができると言います。
前日4時まで酒を食らっていた我々でも、写真を撮る余力を犠牲に4時間ほどで稜線に出ることができました。
まさかの初冠雪
夏場はスイカが有名な合戦小屋の辺りで非常に大きな問題が発生しました。下界ではまだ信じられませんが、運が良いのか悪いのか、この日が燕岳初冠雪となりました。
SNSの直近の山行記録を参考にしていたので当然アイゼンの装備はなく、雪上テント泊に耐えるだけの防寒装備も当然ありません。とはいえとりあえず予定通り、私とTK氏はテントを張って横になってみます。
待ってマwジw無w理ww死んぢゃうwww
あかんwこれはあかんてwww
持てる最大限の防寒を施しテントで横になったその瞬間に理解しました。ここで一晩を越すことは到底できないということ。身体がこの場にいるのを全力で拒絶している。いつもは秘密基地のようで、中にいるだけで楽しくなるテントですが守られていない状態ではただの地獄。燕山荘のお姉さんにお願いし小屋泊の受付を済ませました。
日没間際にほんの一瞬だけ燃えるような空が顔を覗かせました。
明日その頂を踏むはずの燕岳はどう見てもアイゼンなしでは無理そうです。しかし燕山荘の中があまりに広く快適で暖かかったので天気も登頂もどうでもいいやという気持ちになります。このあとすぐに吹雪になりましたが、もう小屋の中にいるから関係ありません。
そして燕山荘、入り口の時点からめちゃくちゃに広いです。全体像が把握できなかったくらいには建物自体が広く、下界のホテルと何ら変わらないレベルです。宿泊は個室でこそないもののカプセルホテルのようなキャビンタイプで、布団も暖かく極上の空間でした。自炊派のための調理スペースもあり至れり尽くせり。我々は窓の外の吹雪を見ながら乾杯を交わします。我々はもともと外れていたタガがさらに外れたように延々と酒を飲み続けます。メスティンで米を炊きチーズとベーコンを蒸し、フライパンで肉を焼き魚を焼きます。
ビールまだまだありまっせ
肉あるからワイン開け(空け)ようぜ
肉って案外日本酒が合うんですわ
そして飲み続けて何時間が経ったのか、日付を超えた頃に気づくと窓の外の吹雪が止んでいる。というより晴れているような…?
満天の星空
酒を飲み続けていたらミラクルが起こりました。あれだけ吹雪いていたのに、満点の星空がそこに広がっています。このときばかりは寒さともしかしたら酔いで指の動きが悪いのを不思議に思うくらい、本当に外の寒さを忘れて夢中で写真を取り続けました。
槍ヶ岳もこんばんは。さすが表銀座のスタートなだけあります。
安曇野市街とオリオン座。北アルプスといえば山しか見えない山深いイメージがありますが、ここは常念岳や燕岳は槍穂高より一層市街地寄りの山脈なので街とつながっている様子が見られます。市街地の控えめな明るさと満点の星空がマッチしていました。
さて星空ときたら天の川です。スマホ課金アプリのstar walk2で方角を確かめ、祈る気持ちで長秒露光します。写真中央を7時-1時の方向に走る淡い星達が天の川です(心の目)。
撮れ高えっぐwww
イっちゃいそう///
はぇ〜(放心)
写真三脚と明るい広角レンズを置いてきたのが本当に悔やまれます(この写真はフルサイズ一眼レフ、nikon D750+24-120mmf4.0で撮影)。超広角レンズなんてあんなに大量の酒に比べたら誤差の範疇だったのに。
朝焼けも期待できそうだな。そろそろ寝るか。
俺テントで寝るわ
は?
雲海と御来光
そして翌朝。これは燕山荘で優勝したときの写真です。
夜が明けて地平線の果てから太陽が姿を表し始まりを告げる、世界で一番美しい瞬間です。下界は雲海が覆っていて、山と空だけの世界です。
世界に光が灯っていく。人の手では作りようのない景色。山に登らなければ、決して見ることのできない景色。
モルゲンロート
燕岳と槍ヶ岳のモルゲンロート。この年の雪化粧の槍ヶ岳は我々が最初の観測者です。初めての男たちです。
眺望が良すぎる自炊スペース
昨夕ひたすら酒を飲み続けた自炊スペースは極上の朝食会場になりました。窓の向こうには槍ヶ岳と稜線が続いていて、こんなに景色の良い場所だとは知りませんでした。
昨日まで雪がなかったなんて信じられない、完全なる雪山になりました。山にテントを張って泊まることをテント泊と定義するならば、今回で雪山テント泊したことになります。
白の濃さが違う、様相の異なるさらに深いあの山々は北アルプス最深部、黒部の山域。
燕山荘と燕岳を望む。
極寒の中一夜を越した、私とTK氏のテント。信じられないことにTK氏は星景撮影ののち本当にテントで寝たらしい。そして信じられないことに生きていました。おそらくアルコールで正常な判断力を失っていたに違いない。さすが厳冬期谷川岳で遭難してビバークしただけのことはあります。
南を向けば富士山が見える。
少し東に目を向けると八ヶ岳連峰。
これだけの絶景を前にすると、登頂するしないというのは些細な問題になってきます。アイゼンがないため燕岳登頂は諦めて下山することにしましたが悔しい気持ちは一切ありませんでした。
我々は燕岳が初冠雪を迎えたその日、同じ場所で一生忘れないであろう景色を見ました。その事実だけで十分です。山頂直下も雪がありましたが特に危なげなく、2時間あまりで下山します。中房温泉のヌルヌルに包まれながら旅を終えました。
果たしてこれを登山記録として良いものかは分かりません。ただ豪華な山小屋に大量の酒を担ぎ上げ飲み明かし、世界が始まる瞬間を見て帰ってきました。これは仲間と燕山荘で優勝してきた記録です。