山と自転車

登山や自転車をはじめとした多趣味ブログ

日本百名山について思うこと

日本百名山について

登山をする人ならば日本百名山という言葉を聞いたことがあるかと思います。小説家で登山家の深田久弥氏が認定した、山容やその土地での歴史的文化的価値などを基準に選ばれた全国津々浦々の山々です。

この百名山制覇を目標としている登山好きの方も多いと思いますが、北は北海道の利尻山から南は屋久島の宮之浦岳まで日本全域に渡って百名山が存在していて、中には登山口へアクセスするだけでも非常に難易度の高い場所もあったりして、生涯をかけて挑むくらい時間と労力を要する挑戦です。

百名山ハンターへの批判

SNSで何かとギスギスしがちな山界隈ですが、最近百名山制覇を目指すことを批判するような投稿や、百名山を巡って言い争っている場面をしばしば見かけます。批判する側の人の意見は「他の誰かが決めた山しか登らないなんて主体性がない」「登山はスタンプラリーじゃない」「百名山じゃなくたって素晴らしい山はたくさんあるのに」等々。

彼らの言い分にも共感する部分がまったくないわけではありません。百名山ではない他の山には目もくれずスタンプラリー的に百名山制覇を目指すのは確かに勿体ないと思いますし、登る理由が「百名山だから」しかないのは主体性がないというのも一理あるような気はします。良し悪しはさておき。

百名山はきっかけになる

しかし、逆に批判している側の人達が「日本百名山だから」という理由でその山を避けてしまったり、拗らせて百名山を侮るのもやはり相当に勿体ないと思います。

「百名山に外れなし」という言葉もあるくらい、著名な登山家が厳選した百名山という存在は素晴らしい登山体験をもたらしてくれますし、まず間違いなく山ならではの素晴らしい景色を体感できる場所という指標としても役立っているんじゃないかと思います。

また私自身の経験としては「百名山だから」遥々訪れて本当に感動した山が数え切れないほどにあります。例えば秋田県と山形県にまたがる百名山の鳥海山という山は、仲間の百名山ハンターが計画してくれるまで名前すらも知らなかった山ですが、自分の中のベストな山トップ3に居続けています。東北地方に関しては同じく百名山目的に何度も訪ねていますが、今ではほぼ旅行オンリーで行くこともあるくらい愛着が湧いた場所がたくさんあります。

鳥海山山頂

www.mount-road.com

また、昨年夏に訪れた北海道の離島の利尻島・礼文島。おそらく私が死の間際に思い返す最高の旅となる、利尻山登山と自転車での利尻島・礼文島巡りを組み合わせた1週間ほどの旅でしたが、これも百名山を登りに行くという理由がなければ実現しなかった可能性が極めて高いです。

利尻島 彩くるロード

礼文島

www.mount-road.com

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このように、「百名山に登るため」という目的はこれまで馴染みのなかった土地を訪ねるきっかけとなります。どれだけ手軽に情報が得られるようになろうとも、実際にその土地に足を運びその土地の食べ物を食べてその土地の空気感を肌で感じるのに匹敵する情報はありません。

山は自由だ

個人的には一応百名山制覇を目標の一つには掲げている立場ですが、登山家たるもの百名山を踏むべしとも思いませんし百名山スタンプラリーはダサい、なんてことも全く思いません。

百名山制覇を目指す人もそうでない人も、他人に迷惑をかけたり貴重な自然を汚したりさえしなければ好きに登って好きに楽しむべきです。そこに他人の物差しも価値観も関係ありません。たくさんの山を歩いた方ならばきっと、名もなき低山の山歩きで不思議なほど満たされた気持ちになったり、逆に有名な誰もが羨む山であってもいまいちしっくりこなかったりした経験があるのではないでしょうか?

低山だって山なんだ

楽しいかどうか、幸せか、良い山だったかどうかを決めるのは自分だけ。その意味で山はどこまでも自由です。趣味を人生の糧として楽しんでいる人なら自分の物差しで他人の娯楽にケチを付けたりなんかしないはずです。他人にケチを付ける人は他人を攻撃することそれ自体が趣味になっている醜悪な人種です。どこまで行っても趣味なんて「たかが趣味」なんですから、もっと気楽に自由に楽しめるものであるべきでしょう。

本当に山が好きで山を愛している人ならばこう言えるはずです。他人の山に口出しするな。と。