自転車人生のはじまり
SSDを整理していたら高校生時代の自転車の写真が出てきてあまりにも懐かしかったので、備忘録的に自転車遍歴をまとめてみました。
スポーツ自転車との出会い
私がスポーツ自転車という概念を知ったのは中学2年生の時に仲良くなったS君というアメリカかぶれの友人がきっかけでした。彼は趣味嗜好にお金がかかっていそうな比較的富裕層の家庭に育った男で、GIANTのSNAPというMTBに乗っているのがトレードマークでした。何も知らないながらに大きくスローピングしたフレームや砂利道を物ともしない極太のタイヤに憧れたものでした。
そうだ、思えば一番最初はMTBに憧れていたんでした。
社会科の地図帳から世界が広がった
そんな彼と社会科の地図帳を眺めていた時、地元町田の境川をずっと辿ると江の島につながっていることに気付きました。「江の島は親に車で連れて行ってもらうところ」だった当時の私達にとって、家のすぐ近くの川が江の島の海までつながっているというのは世紀の大発見でした。そうして「自転車で町田から江の島まで行く」初めての大冒険が爆誕したのが中学2年生の夏前の出来事でした。
S君と私、あとM君という鉄オタの3人で朝5時に集合して境川をひたすら下流に向かって進みました。当時は今ほどスポーツ自転車が世の中に普及していなかったので、中高生でママチャリ以外に乗っている人はほぼ居ませんで、私とM君も例に漏れず、変速も付いていない量販店で1万円くらいで売られている20kg以上の鋼鉄のママチャリに乗っていました。しかもサドルに座ったまま地面に脚が付く不適切なポジションのまま。
自分の脚だけで江の島に辿り着いたあの時の感動はあまりにも大きな感動でした。あの時に私の人生の大きな部分が決まったような気がします。あんなに楽しい冒険はありませんでした。
後に「チャリ旅」と名付けたこのイベントはS君の人脈によりメンバーを増やしていき、町田から世田谷通りを通って渋谷に行くとか、国道16号線で横浜に行くとか、真冬にお台場まで行くとか、そんなことを定期的にやっていたのが中学時代でした。
もちろんスマホなんてないのでナビは社会科の地図帳と青看板が全てでした。時に迷って全く知らない街に出たり、予期せぬ道の繋がりを知ったりと、今思い返しても改めて自分の原点として大事にするべき冒険の要素が詰まっていました。
クロスバイクとの出会い
後に実家が商店を営んでいるK君という、栄養失調の出目金のような顔をした男がチャリ旅の常連メンバーに加わりました。その彼が乗っていたのがルイガノのクロスバイクでした。車種が分からないのですが、前後フェンダーが付いてランドナー風の見た目の自転車で、ママチャリと同じくらいの太さのスリックタイヤを履いていました。
S君のMTBに乗らせてもらった時「意外と進まない」と思ったのを覚えています。往復50kmを超えるような舗装路メインのライドなのでMTBでは疲れるのが当たり前ですが、K君のクロスバイクは嘘みたいに速くて風のように進んで衝撃を受けました。「タイヤが転がる感覚」が私の知る自転車のそれではありませんでした。
父さん、クロスバイクを買ってくれ!
中学2年生の頃の私の頭の中は、クロスバイクと同時期に始めたエレキギターのこととか好きな子のことでいっぱいでした。最高に「中学生」してました。
当時GIANTなりルイガノなり、クロスバイクは安いものでも4~5万円ほどでした。今でこそ夫婦でブロンプトンを大人買いしたり用途違いでキャリーミーが欲しいんだよねなんて言ってる父親ですが、当時はスポーツ自転車への理解のりの字もなくて「自転車に5万なんて馬鹿じゃねえのか」というこれまた、最高に「自転車に興味を持った中学生の息子の父親」でした。
執念深い私が説得を頑張った記憶がないので、それだけ取り付く島もなかったのだと思います。せめてもの、という意図かは知りませんが高校入学のタイミングで変速なし鉄ママチャリが3段変速で大きなカゴ付きのママチャリに進化しました。
「ジテツー」ブームが革命を起こした
私が高校に入学した頃、世間に自転車通勤「ジテツー」ブームが起こりました。「自転車ツーキニスト」を自称する疋田智さんが火付け役だったように記憶しています。
そんなブームの影響を受けた父親が自転車雑誌を買ってきたりするようになって、良い流れが来ていると思っていたある日のこと
父「俺クロスバイク買うわ」
私「はぁん?????」
そうしてスポーツデポに自転車を見に行くという大イベントが発生し、自転車に5万なんてと一蹴されてから苦節2年、ようやくクロスバイクを手にしました。
マイ自転車遍歴
クロスバイク:ルイガノTR1
初のクロスバイクはルイガノTR1という自転車でした。長距離でも疲れなさそうなフロントサスペンション、変速は3×8=24段、Vブレーキ、前後フェンダー付き仕様。当時ロードバイクとMTBの中間と位置付けられていたクロスバイクのうち、MTB寄りのコンフォートモデルで、今でいうエンデュランスバイクに近い位置付けでしょうか。
クロスバイクを手にしてからは狂ったように走り回っていましたが、すぐに軽量化とロードバイク寄りの走行性能を求めてカスタム沼(といってもかわいいものですが)に沈んでいきました。まず前後フェンダーを外し、乗車姿勢を前傾に寄せるためスレッドステムをアヘッドの可変ステムに交換してハンドルを大幅に下げ、ハンドルも無駄に幅があったのでカットしてエンドバーを付けて、タイヤを35c→28cに交換したりしていました。
それでもスタンドを付けているのは、話が通じない中年太りの高校教師というプロンプトでAI出力させたような当時の高校の生活指導の教師が「スタンドが無い自転車は駐輪場に停めさせぬ」という狂った信条を掲げていたせいでした。
この写真は町田の実家から千葉の祖母宅まで自走した時の写真で、
2011年に上野ワイズロードでブロンプトンを初めてみた時の写真がありました。衝撃的過ぎる金額。
MTBへの憧れもありフロントサスペンションを選択しましたが、自転車に詳しくなるにつれてロングライドであってもフロントサスは不要、むしろ重量増と推進力の低下につながると思いフロントフォーク交換を計画しました。そしてここで初めて自転車のパーツの規格という闇深い世界を覗いてしまいました。
ロードバイク:GIOS AEROLITE
フォーク交換とかそこまでやるならロードバイク買った方がいいんじゃないか、と呆れ諦めの目をした父親から鶴の一声。バイクプラスでTREKのロードバイクに試乗したり初めて電動デュラエースを体験するイベントを経て、あとはどうやってお金を作るか。半年くらい家庭内家事バイトをして金策を…と思っていた矢先でした。母の職場の同僚が、乗らなくなったロードバイクの貰い手を探しているという神がかりイベントが発生したのでした。
こうして初のロードバイクがやってきました。高校2年生の時、ちょうど東日本大震災の年の出来事です。アルミフレームにカーボンフォーク、コンポはティアグラと105のミックス(ブレーキのみ105)、2×9=18段変速のロードバイクでした。
当時はホイール交換という発想がなく、ギア比という言葉も知らなかったので詳細な仕様は不明ですが50/34Tコンパクトクランクにカセットスプロケット12-15Tという、今の私では考えられない豪脚仕様でした。やたら重いけどこういうもんか、と思って乗っていました。無知って素敵ですね。もはやスプロケットが見えないレベル。
また、タイヤもこれまた現在ではまずお目にかからない23c、8.3barという高圧で乗っていました。19c, 21cも試した結果23cに落ち着きました。当時はロードバイクといえばタイヤが細い自転車、というのが一般の人も含めた認識で、細ければ細いほど、高圧であればあるほど速くてカッコいいと思っていたので、25cですらダサいと思っていました。
高校時代は週末はもちろん、部活終わり(私の高校は平日は17時で部活が終了していました)も狂ったように乗りまくっていました。頻度的にも距離的にも一番乗っていた頃です。元々片面SPDのペダルが装着されていたのでビンディングデビューも果たしました。みなとみらいの人目がたくさんある大通りで立ち転けしたのは懐かしき思い出です。
暇さえあれば自転車の知識を付け、いつか買うならフルカーボンかそれともホリゾンタルフレームのクロモリで一生モノのロードか、なんてことばかり考えていました。
重量は9kgジャストほどで、今思えばロードバイクとしては重いですが当時は自転車とは思えない軽さに、担ぐ度に感動していました。そのためパーツ交換はほぼせず、バーテープやタイヤを頻繁に変えてカラーカスタムをする程度でした。
これは最終的に落ち着いた青×黄色。
MTB:TREK4500
私は大学入学のタイミングで山梨に移住したのですが、贅沢にも「ロードバイクとMTBを両方持っていたら最強なのでは」と思っていました。そこで父から大学合格祝として買ってもらったのがTREKのMTBでした。
26インチ、フロントサスのみ、アルミフレームで油圧ディスクブレーキ、3×8=24段変速のオーソドックスなMTBでした。バイクプラスにてホイールサイズが大きく走破性のみならず巡航性能も高い29erのモデルを勧められましたが、ロードバイクを持っているためキャラクターをより明確に分けるため26インチを選択しました。
山梨には里山や河川敷など未舗装路はそこら中に溢れていたので普段遣い+αで活躍してくれました。ホイールサイズのこともあり長距離は走る気がしなかったので、車で遠方に持ち出すことが多かったです。
小径車:ブロンプトンM6R
以前どこかの記事で書きましたが、大学時代はたまに思いついたようにロードに乗ったりMTBで砂利道で遊ぶくらいで、別の趣味に没頭していたため自転車からかなり遠ざかっていました。登山にハマったのも影響し、大学時代の総走行距離は1000kmいくかどうかだと思います。そんな状態だったので、社会人になりコロナで10万円給付を貰った時には「中型免許を取ってオートバイでも乗ろうか」と思っていました。
しかし内なる自分がこう言いました。「一度オートバイに乗ったら自転車には乗らなくなる。その人生でお前はいいのか」と。
ちょうど湘南に住んでいて自分の原点となった江の島が近かったこともあり、自転車熱を少しずつ取り戻していました。そして自分は自転車の人生を選ぼうと一念発起して、中型免許の代わりに買ったのがブロンプトンM6Rでした。横浜みなとみらいのグリーンサイクルステーションで購入。
ブロンプトンは間違いなく人生を変えてくれた相棒です。日常生活の脚から旅のパートナーまであらゆるシーンで大活躍してくれます。
こんな感じに職場のデスクの下にも収まってしまうので通勤の脚としてはもちろん
フレームに固定する優れた積載システムがあるため大容量バッグを使ったツーリング旅行も
飛行機輪行も極めて敷居が低く可能で日本全国どこへでも連れていけます。
ちょっとだけ工夫すると登山ザックを背負わせたりもできるので、遠方で登山しつつキャンプしつつツーリングしつつ…なんて遊びが誰にでもすぐできてしまいます。ブロンプトンがなかったら利尻島、礼文島、稚内から宗谷岬を自転車で走る体験はまだ出来ていなかったと思います。
ブロンプトンはキャリアの有無や変速段数をはじめいくつかのバリエーションがあり、時々有名ブランドとコラボしたり、コンセプトモデルが出たりして実は種類が豊富です。ブロンプトンでブルベ(200km〜を制限時間内に完走するロングライド)に参加する人がいたり軽量化に命をかける魔改造界隈が存在したりと、一生遊べるポテンシャルがあります。
私は完全に↑のような積載と輪行のラクさを生かした遊び方を想定していたので、キャリア付き6段変速一択でした。その選択は間違ってなかったなあと思います。
小径車:ダホン
これは私の父が高くて買えないブロンプトンの代わりに購入したダホンの折り畳み自転車です。よくあるフレーム真ん中が2つに折れるタイプですが、重い上に輪行がラクというほどコンパクトにはならず、誰にも乗られなくなったところを細君用に引き取りました。ホイールサイズも大きいため結構良く走ってくれるのですが、言い方は悪いですがやはり安い折り畳み自転車特有の剛性のなさをあらゆるシーンで感じました。
ロードバイク:TREK DOMANE SL5
ブロンプトンのおかげですっかり自転車熱を取り戻し、転勤で再び山梨に帰った時に購入したのが初のフルカーボンロードのDOMANEでした。ちょうどTREKがリムブレーキモデルを出さなくなった年のモデルで、軽量ヒルクライム向きのレースバイクのEMONDAに対してロングホイールベースを中心としたロングライド向けのジオメトリにIsoSpeedという独自の衝撃吸収機構を搭載し快適性を重視したエンデュランスロードです。
まあ買った時はそんな小難しいことは全然知らず、色に一目惚れして買いました。ロングライド向け、快適性重視というのも自分の用途に合っていると思いました。
ちょうどコロナ禍による世界的な自転車需要の増大と製造・運送業へのダメージにより自転車本体はもちろん自転車関連部品の入手が困難になっていた頃でした。フレームサイズ54のこのカラーは日本全国のTREKディーラーで最後の1台で、宇都宮から取り寄せてもらいました。
中学時代から憧れの存在だったカーボンロード。気づけばロードバイクでもディスクブレーキが当たり前になっていて、エンデュランスモデルということもありカーボンロードとしては重量級でしたが、カーボン特有の軽快さは十分に味わえました。
軽量ホイールに交換してその効果に感激したり、カーボンハンドルやカーボンサドルを組み込んで軽量化したりバイクパッキングスタイルで旅をしたり。あとはSPDしか経験のなかったビンディングをSPEEDPLAYに買えたり回すペダリングに矯正したり。GIOS時代以上に自転車を学びながら乗り込んだ自転車でした。
ロードバイク:tada車416号機 クロモリオーダーバイク
現在のメインバイクです。クロモリオーダーフレームにSRAM FORCE etap AXS(電動変速油圧ブレーキ)の自分で組んだクロモリロードバイクです。
自転車に乗り始めた頃から漠然といつかロードバイクをオーダーしてみたいという思いがありました。DOMANEをある程度乗り込んだ時点で自分の求める自転車の方向性が見えてきたのと、高校生の頃にも劣らないほどの自転車熱が完全復活し一生自転車に打ち込むと確信したので、2台目という発想は比較的すぐに芽生えました。
どうせパーツ交換するなら組んでしまえ
この頃にはすでにDOMANEもコンポを除きあらかたパーツ交換を施していたので「完成車を買ってもどうせフレームとコンポ以外総取っ替えになるから無駄!どうせならオーダー!可能なら自分で組んでしまえ!」となるのは必然でした。
フレームに関してはオーダーすることがあればtada車にしよう、と決めていました。tada車という言葉は高校生の頃からずっと読んでいたつむりさんのブログで知っていて、唯さんならきっと自分の理想を形にしてくれるんじゃないかと思い、遠路はるばる兵庫の山奥の工房を訪ねました。
ロングライドがラクに走れるのを基本としつつ、踏んだ瞬間に前に飛び出すようなカチッとしたレーシーな走りが欲しいというワガママとDOMANEで不満に思っていた部分を余すことなく伝えた結果、ロードバイクとしては”上がり”の1台が完成しました。
小径車:ブロンプトンM3L
大学時代の同期で現在も交友が続いている山仲間HT氏が転勤で東京を離れる際に
ブロンプトン壊れちゃったから捨てようと思ってる
壊れたって事故でも起こした?
泥除けが割れてパンクしてる
……それで捨てようと?
うん、直せないし
馬鹿野郎、俺に買い取らせろ!!!!!
ということで3万円という破格で買い取ったのがブロンプトン2号機です。今思えば口先一つでタダで引き取れたなと思いますが、価値を知っているだけに反射的に買い取るという言葉が出てしまいました。そして奇しくも同じカラーリングでした。だいたい15年前くらいのモデルなので現行のブロンプトンとは仕様が異なり、例えばおすわりモードにするための後輪の可動部にロック機構がなかったりします。
ブロンプトンは細君用にもう一台いつか買いたいと思っていたので予期せぬ幸運でした。せっかくの2台目なのでフェンダーを外してEバージョン化しました。私のM6Rと比べて明らかに軽いです。
艶有りのイタリアンレッドでとても発色が良く、色だけ見るとこっちの方が好みです。オールドダホンならぬオールドブロンプトン。
小径車:Tyrell FSX(納車待ち)
色々あって現在所有しているのはtada車とブロンプトンM6RとブロンプトンM3L、計1.7台です。え、台数がおかしいって?折り畳み自転車は1台にカウントしないという法則から導き出された数字です。計算については下記記事を参照ください。
Tyrell FSXはうどん県の自転車メーカーが生み出したミニベロロードで、ミニベロとしてはもちろん折り畳み自転車としても破格の走行性能を有したスーパーバイクです。ガチの時のロードバイクと普段の脚+αのブロンプトン、その中間を埋めてくれる自転車として熟考して選びました。え?試乗して例によって思考停止で気づいたら注文してたじゃないかって?うるせえな。
今後の展望
ロードバイクはtada車が再起不能にならない限り2台目を組むつもりはないので、輪行特化の普段使い〜ポタリング用のブロンプトン、両者の間を幅広く満たしてくれるであろうTyrell FSX。殆どのシチュエーションをカバーしておりますが、あと足りないのはなんでしょうか。そう、オフロードですね。
グラベルかMTBか、それが問題だ!
具体的にはグラベルロード>>MTBを1台導入したいと思っています。はい、Tyrellが納車してすらいないのに既に頭の中にはその次の自転車の構想があります。健全な自転車乗りとはこういう生き物なのです。
細君が酔った隙に「すぐじゃないけど遠くないうちにもう一台だけ増えるかもしれない」と予告をして承諾を得ておきました(rejectされなかったことの解釈)。
グラベルロードMTB、いずれにせよ考えているのはクロモリフレーム+リジッドフォーク(クロモリorカーボン)+油圧ディスクブレーキもしくはEqualの機械式ディスクブレーキ、コンポはフロントシングルで、40c以上の極太タイヤを履かせてグラベルライドに特化したバイクです。
MTBなら
一番の憧れはSURLYです。無駄に(褒め)頑丈でごっついMTB。
候補としては①karate monkey
②セミファットバイクに相当するkrampus
③あるいはいっそファットバイクのICE CREAM TRUCK
この辺は具体的に欲しいというよりは憧れです。ランドクルーザーみたいな位置付けです。お金はともかく物理的にデカく保管場所問題も生じるし、さすがに用途が超一点に限定されるので憧れのまま終わる可能性も十分あります。
グラベルロード
ということでグラベルロードの方に心は傾いています。とはいえそれでロングライドをするような用途は基本的には想定しておらず、多積載下で70km未満くらいの距離感で道を選ばず遊べるバイク。軽量化も変速機の性能もそれほど求めないので、概ね30諭吉以内くらいで良さげなバイクないかなぁと情報収集をしていますが、情報を手にするとグレードはともかく使ってみたいパーツが出てくるので、結局自分で組むことになりそうです。フロントフォークにもキャリアを付けて北アルプステント泊縦走もびっくりなツーリングをしたり、ほぼ登山道みたいなグラベルに持ち出したりしたい。
もうカーボンフレームは買わない
話が少し変わりますが、私はもう二度とカーボンフレームは買わないと決めました。DOMANEでカーボンの良いところも悪いところも知って、個人的にはカーボンは自分の用途・主義信条には合わないと結論付けたからです。詳細は省きますが、カーボンフレームは予期せぬ&自分で把握できない故障をし得るということを経験しました。もし次のロードバイクを検討する段になったらクロモリかチタン。いずれにせよカーボンは絶対に選びませんし、オフロードメインのグラベルロードならなおさらカーボンは外します。クロモリフレーム最高!
※あくまで個人的な意見で、カーボンフレームの批判ではありません。
まとめ:自転車はいいぞ
久々にめちゃくちゃ長文になってしまいました。日記帳でやれよという内容ですが、自身のことを振り返るのも面白いです。社会科の地図帳片手に走り回っていたあの頃の気持ちを改めて思い出しました。
改めて自転車という趣味は本当にいいなぁと思います。導入こそ一定の費用はかかるものの、維持費もかからない上に乗れば乗るほど健康になっていく。こんな趣味他に登山くらいしかないと思います。欠点は金銭感覚と距離感覚が一般ピープルと乖離して不可逆的に会話が噛み合わなくなるくらいのものです。費用と言っても多くの自転車乗りが勝手に沼に落ちていくというだけで、実際には今市販されている10万円くらいのスポーツ自転車なら十分高性能です。私がクロスバイク(カスタムと言っても内容も費用も可愛いものでした)やGIOSのロードバイクをほぼ吊るしの状態で乗って遊びまくっていたように、十分に新しい世界で楽しく遊ぶことが出来ます。
そら乗るしかないな自転車にィ!